先輩からのメッセージ 自身の存在こそが社会を変える ~ これまでの学校生活・学生生活を振り返って ~

NPO法人ピアサポートみえ理事
杉田 宏(すぎた ひろし)
日本福祉大学社会福祉学部社会福祉学科 2006年卒業
肢体障害

写真:杉田 宏さん
杉田 宏さん

94号 2017年1月1日発行 より


皆と同じ場で学びたい

 僕は8か月の早産で1700gの未熟児で生まれました。そのためなのか両下肢に障害があり、移動には杖や電動車いすなどを使っています。
 実家の窓から見えるところに小学校がありました。入学前には兄弟が通う学校に自分も通えるだろうかという漠然とした思いがありました。障害のある僕だけがスクールバスに乗って養護学校に行かなければならないのはなぜなんだろう?エレベーターが付いていないからなのか、それとも洋式トイレがないからなのか?僕には理由がわかりませんでした。そこで親に「僕も兄弟と同じ小学校に行きたい」と伝えました。養護学校しか行けないだろうと思っていた母も、僕の人生だからと、市の教育委員会と話し合って、無事通常学級に入学することができました。しかし保護者の付き添いが条件であったため、母親は仕事を辞めて内職を始めることとなりました。
 2年生の時には、同じクラスの友だちからいじめを受けました。毎日のように学校に来ていた母親に僕が状況を伝え、母親がいじめの現場を目撃した後に担任へ伝えて初めていじめが発見されました。席替えをしたことでそのいじめはなくなりました。ただ、こうしたいじめを受けた時も僕は養護学校に変わりたいと思ったことはありませんでした。

充実した高校生活

 小・中学校とそのまま地域の学校に通った後、三重県立昴学園高校に進学しました。この学校は、全国でも珍しい100%推薦入試の、全寮制の総合学科で、寮生活を送りながら福祉を勉強しました。入学試験の後の入試判定会議の際には「学校だけでなく生活全般をみなければいけないのだから、入学は難しいのではないか」という意見も出たようです。ただそこにいた管理職の先生から「その理由で入学を認めないのは差別にあたる」という意見が出て、その結果この高校で初めての障害のある生徒として入学が認められました。
 毎日の寮生活のおかげで通学の負担は減り、また家族の有難さのようなものも感じることができました。勉強の方では障害のある人の生活などに興味や関心があったので、介護福祉士の国家試験の受験資格を得られるコースで学びました。しかし実技などができないために実習科目は履修せず、代わりに他の科目を勉強して卒業しました。

新たな挑戦までの日々

 福祉のことは勉強したものの、それを活かして仕事ができるのかを問われた時、自分は車いすを押すこともトイレ介助をすることもできないし無理なんだなと半ば諦めて、卒業後は特例子会社に就職することにしました。大学は考えなかったのかと思われる方もいると思いますが、電車に乗って通学するのも下宿するのも大変だし、それならば4年間大学に行くつもりで仕事に行こうと思ったのです。
 もちろん仕事も探してすぐ見つかる訳もなく、親戚に紹介してもらって会社を見つけました。そこでの仕事は1日中パソコンに向かって製図などを書いていくものでした。自分には未知の世界であり、興味や関心も持てず、何をどうすればいいのかもわからないから、質問もできず、ただ時間が過ぎるのを待っているような毎日でした。
 そんな毎日が続く中で終業後の時間はせめて自分の時間に充てようと、津市立三重短期大学に入学することにしました。その大学にとっては初めての障害学生だったらしく、受け入れに際してどのようなことが必要かを考えてもらい、スロープや階段の手すり、玄関に一番近い所への障害者用駐車スペースの確保などを行ってもらいました。また、2年生のゼミ活動では、大学構内のバリアフリー調査を行い、報告書をまとめて大学に出した結果、自分の卒業後にはなりましたが、玄関に自動ドアが設置されるなどバリアフリー化が行われました。
 このようにして僕が地域の学校に通い、さらに次の学びの段階へと進学するたびに、周りでは建物などのバリアフリー化が進んでいきました。その体験を通じて僕も、自分が社会を変えていく存在になるのだと実感してきました。短期大学卒業後、1年ほど通信課程の大学で学んだあと、仕事を辞め、自分がやりたかった福祉のことを学ぼうと愛知県美浜町にある日本福祉大学に編入しました。そこに至る詳細な理由はここでは割愛しますが、人との出会いや様々な価値観に触れる中で、自分の価値観を問い直す機会が与えられ、逡巡しながらも「もう1度ここから前に進んでいこう」という気持ちが芽生えたのだと考えています。時間には限りがあり、同じように時間は流れている。障害があっても無くても同じ人生がそこにある。自分ができることを探して仕事にするのではなくて、自分がしたいことを仕事にするための糸口として、福祉を学ぼうという気持ちになったのです。

自立生活のスタート

 日本福祉大学の3年次に編入しアパート生活を始めました。下宿を見つけるまでは「部屋を貸してくれる大家さんがいるのかなぁ」というのが一番の心配事でした。実際には僕よりも障害が重いとされている人も下宿で生活しており取り越し苦労に終わったのですが、部屋を借りて住むというのが第1のハードルだったと思います。無事に部屋を借り、生活に必要な改修(手すりを付けるなど)をして、下宿生活をスタートさせました。料理したことがなかったので、大学の学食で済ませたり、閉店近くのスーパーで値引きされた総菜や冷凍食品などを買ったりしながら過ごしていました。ご飯やパンを冷凍しておくと長持ちすること、お米には虫が湧くことなども発見し、生活の知恵も付きました。
 学習の方では、高齢者福祉論や障害者福祉論、地域福祉論などを学びました。すべての授業において「支援者としての視点」で、福祉のあり様が論じられているような気がして、講義を受けながら「当事者はどこに位置づいているのだろうか」と考えていたのを覚えています。
 入学した当時は様々な障害のある学生が普通にキャンパスにいて、同じように授業を受けているのが僕にはとても新鮮でした。ノートテイクや点字タイプライターなどを使って勉強している姿をこれまでの学校では見たことがなかったのを考えると、学校が障害のある学生にとって開かれたものではなかったのだと感じました。もちろん日本福祉大学も開かれているかどうかは疑問です。合理的配慮の提供があるとはいえ、受験をある一定程度の水準でクリアーしなければならないわけですから、すべての障害のある人が学べる状況にはないわけです。それでも受験時の時間延長などが当たり前のように昔から認められ、障害学生支援センターの設置など画期的な取り組みが進んだ大学であると思います。

当事者の視点を大切に

 さて日本福祉大学で様々な科目を履修し実習などをクリアーすると社会福祉士の受験資格を得ることができます。その当時、(現在はどうなっているかわからない)大学では自ら実習先を探すことが必要でした。入学した時にも、「僕は実習ができるのかな?」という不安がありました。実習に携わる職員の方に聞くと「いろいろな障害のある人が実習をやっているから大丈夫」という返答でしたがそれでも不安でした。障害分野だけでなく、高齢者や児童など様々な分野で実習を行うことができますが、僕は障害者福祉の分野にこだわりをもち、自宅から通うことのできるA施設での実習を申し込みました。
 しかし実習受け入れは拒否。「人の手を借りなければいけないあなたがここで人を支援することはできない」という趣旨の理由でした。その施設の職員の方と何度か話し合った結果拒否の理由について「私共の認識不足でした」というお返事をいただきました。しかしこの施設で1カ月にわたる実習をするのはきついと考え、身体障害者療護施設(当時)と障害者相談支援センターを運営する法人で実習させてもらうことにしました。そこで障害者相談支援センターが開所している時に「実は、社会福祉士の実習先を探していて、ここで実習することはできませんか」と相談しに尋ねました。相談員の方が療護施設の方とも話し合ってくださり、その結果施設で2週間、相談支援センターで2週間の実習がスタートしました。
 療護施設では、僕が幼い頃から知っていた人が施設に入所していることにびっくりしたり、僕の知り合いのお母さんがその施設で働いていることに驚いたりしました。施設での実習の中身は、とにかく入所施設の方の話を聞くことでした。「なぜ施設に入ったのですか」「なぜディサービスを利用するようになったのですか」と、専門的な視点というよりは、自分の興味の向くままに話を聞いていったように思います。その質問にすんなりと答えてくれる人もいれば、そうでない人もいたり、時には「部屋に入ってこないでください」と言われたりと色々なことがありました。施設での実習最終日には、職員と利用者の方に向けて僕のこれまでの歩みなど話す機会をいただきました。
 相談支援センターでは相談者の話を聞くだけにとどまらず、現在の法人の理事長宅に伺ったり、アパートで生活している方を訪問したりして、障害のある人の地域生活を考えるうえで貴重な体験となりました。
 こうして実習も受け、その後迎えた国家試験をなんとかクリアーして資格を取ることができました。僕が次に目指したのは大学院でした。しかし、福祉のそれではなく、社会人を対象とした市民活動やNPO、ジェンダーなどについて学ぶ大学院で、夜間や土曜日にキャンパスで学びます。様々な年代層の人と、結婚って何なんだろうと、これまで疑いもしなかったことについて真剣に議論したり、たくさんの書物を読んだりしながら、学びを深めていきました。その結果今の自分がいるように思います。
 今僕は、障害者の地域生活を当事者が主体となって支援するNPOに所属して、様々な活動を進めています。その原動力として、高校や大学などでの授業や講義を通した学びはもちろんのこと、一緒に学んできた友人たちとの出会いや、自立生活を含めた様々な経験があるように思います。僕の経験が少しでもみなさんの参考となり、大学進学を考えるきっかけや、みなさんの背中を押すものになれば幸いです。