村瀬 恵(むらせ めぐみ) 浦和大学総合福祉学部総合福祉学科 2012年卒業 肢体障害 聞き手 全国障害学生支援センター 川合 千那未
93号 2016年10月10日発行 より
川合:今回はCILハンズ世田谷のスタッフの村瀬さんに大学時代のことを中心にお話をうかがいたいと思います。まず自己紹介をお願いします。 村瀬:私は小学校から高校までは特別支援学校に通い、大学は福祉系の大学に行きました。社会福祉士の資格をとりたいと思ったからです。結果としては資格は取れませんでしたが。今は27歳です。障害は脳性まひです。 川合:浦和大学を志望したきっかけは? 村瀬:高校に入った時から大学には行きたいと思っていました。障害者だけでなく同年輩の健常の友達とかかわってみたいと思っていたからです。大学の中には、オープンキャンパスにきただけなのに門前払いのところや、設備が整っていないからお断り、というところなどいろいろありました。 川合:私も大学探しの段階で対応のちがいを感じました。 村瀬:浦和大学は桐が丘特別支援学校の先輩で、高校から普通学校に出て行った方が通っていたので興味があありました。オープンキャンパスに行った時に当時の学部長だった先生が話を聞いてくれて「サポートできるよ」と前向きにいってくださったので、ここがいいなあと思い、頑張ってAO入試を受けて入学することが出来ました。
川合:入学後勉強面ではどんな風でしたか? 村瀬:大学には障害学生支援室というところがありノートテイクをやってもらえると聞いていたのですが、入学後「あなたは耳が聞こえるからノートテイクは受けられません」といわれてしまいました。そこで自分でICレコーダーですべての授業を録音し、あとでそれを再度聞き直してノートに起こしていました。だから遊ぶ時間はほとんどありませんでした。資格関係の授業の先生は結構厳しかったです。学校への送迎は母がやっていました。昼間のトイレ介助は、障害学生支援室に登録した学生の方にお願いしてやってもらっていたんです。トイレ介助をしてくれていた先輩が、ある授業の始まる前に「この先生の授業はノートをとるのが大変だから手伝ってあげるよ」といって2・3度横に座ってノートをとってくれたんですね。それが障害学生支援室長の先生に伝わって「ノートテイクはつけないと村瀬さんと決めたことなんだから勝手に手伝わないでください」とその先輩がおこられてしまったんです。もちろんテストの際に時間を延長するとか、パソコンで受けられるようにするとかといった設備面ではいろいろと配慮してもらえました。ですが、ノートをとることに関しては自分で何とかやっていました。 川合:でも私たち脳性まひの人は書こうと頑張っても書けないわけですよね。それを理解してもらうのが大変だったということですね。ところで先ほど社会福祉士の資格をとることはできなかったといわれましたが、実習を受けるときにはどうでしたか? 村瀬:私の大学は2年生では大学の系列の老人ホームで1週間実習を受け、3年生で自分の行きたい施設で1か月実習を受ける、という形で実習をやりました。私の場合障害関係しか興味がなかったというか、わからなかったというか、障害関係のところに実習に行きたかったんです。私は当時練馬区に住んでいたので、学校としては全く面識のない板橋区の障害者施設に電話して実習を受けられるように取り計らってくれました。実習後のレポートは手書きできないのでパソコンで書かせてもらいました。
川合:私たちのような障害学生の場合、大学の中で十分なサポートを受けられないときにはとくに、友達や周囲の人の助けが重要になってくると思います。村瀬さんは大学に入って初めて健常の学生と接してみてどうでしたか? 村瀬:私はとても人見知りが激しく自分から声をかけられるようなタイプではなかったので、昼休みに声をかけてもらった人と初めて友達になったのが入学後1か月くらい後でした。その子がグループを作っていたのでそこに入った感じです。 川合:私は今は障害者運動などをやっているので障害のある人たちのなかにいますが、小学校から大学まではずっと健常者の中にいました。自分から話しかける時はいつもドキドキしてこれにはいつまでたっても慣れないと感じます。最初どんなふうに声をかけるかが重要ですよね。 村瀬:話しかけようとして緊張すると声が出なくなる。とくに私は人見知りだから話しかけようと決心するのにも時間がかかるし、決心してからそれを実行するのにもまた時間がかかるんです。 川合:学年が上がりゼミなどが忙しくなると友達関係も変わってきますよね。 村瀬:私がゼミに入った時に友達になった第1のグループでは、私がすっかり頼り切ってしまったため、2か月くらい経つとそのグループから避けられ、外されてしまいました。でもその頃ゼミにはほかにも声をかけてくれる子がいたので別のグループに入ることができ、おかげでその後もなんとか大学を辞めずに進級できたんです。 川合:最初のグループから外れてしまって別のグループに入ることが出来たということですが、そこにはきっかけがありましたか? 村瀬:新しい方のグループの子たちとはもともと、履修している授業もほとんど同じでした。だからグループに入る以前から声もかけてくれてたし気にもしてくれていました。連絡先などもすでに交換していたんです。第1のグループから外された後に第2のグループの子たちに「なにか私が迷惑をかけてない?」というメールを送ったんですね。すると「そんな風に気にしなくていいよ。無理なことはむりってちゃんというから大丈夫」といってくれたんです。それで持ち直したんです。その後大学時代の大半はこのグループの友達と楽しく過ごしました。 川合:とてもいい話ですね。1度目はうまくいかなくて、2度目はドキドキしたかもしれないけれど、うまくいってよかったですね。大学生活でとくに楽しかったことはなんですか? 村瀬:休み時間はそれほど長くない上に、トイレ介助などがあったのであまり時間が取れませんでした。でも昼休みにいわゆる女子会トークで盛り上がったりしてる輪の中にいる時とか、図書館で友達と一緒に勉強している時は楽しかった。ただ家から大学までが遠いために親の送迎が必要なので、休みの日などに遊びに行くことはできませんでした。 川合:そこが重度の障害のある人の辛いところですよね。
川合:現在村瀬さんはCILハンズ世田谷のスタッフとして障害当事者としていろいろなところで発言を求められたり、様々な活動をしておられます。そんな村瀬さんが当時の自分の大学生活を振り返って学校に一番望むことはどんなことですか? 村瀬:ノートテイクをちゃんとやってください、ということですね。ノートテイクがあれば友達ともっと話したり遊びに行ったりできる時間の余裕もあったかなと思います。それからこれは当時の自分自身にいいたいことですが、当時私には好きな男子がいて、その人に向かって「つきあうとかそういうわけではないけど、話を聞いてください」ときりだしたんですね。でも相手の気持ちを聞く前に終わってしまいました。今それを後悔してるんです。そういう話の仕方ではなくてもっと相手の気持ちに寄り添うような話の切り口で、自分の気持ちもちゃんと伝えればよかったのにと思っています。 川合:ではこれから大学を目指す学生の方に伝えたいことがあればお話し下さい。 村瀬:学校(大学)との交渉は自分ひとりとか家族とだけでは丸め込まれてしまうので、前もって障害のある先輩に話を聞くとか、仲間をいっぱい作ってから入学準備をした方が、入学後によい体制をとってもらいやすいと思います。仲間を大切にしてください。 川合:本当に仲間を大切にすること、それから身近に相談できる人を持つことが大事ですね。村瀬さんには卒業後の自立生活のお話なども是非聞いてみたいですがそれは次の機会ということで。今回はお話を聞かせていただきありがとうございました。