瀬戸山陽子
みなさま、こんにちは。全国障害学生支援センターの情報誌を見に来てくださってありがとうございます。情報誌担当の瀬戸山です。このエッセイは情報誌のオンライン化を機に、私が日々感じていることを自由に書かせていただいている場です。第3回目は、自分自身の目の障害について先日感じたことを少し書いてみます。
私は左目が見えない、いわゆる「隻眼(せきがん)」です。右目は遠くが見えづらい近視の症状がありますが、コンタクトレンズをつけると0.8程度の視力は出ます。視覚障害と対でよく使われる「晴眼(せいがん)」という言葉は、視覚に障害がなく、目が見える状態のことですが、両目かどうかを明確に定義されているものではないようです。そこに「者」という言葉をつけた「晴眼者(せいがんしゃ)」について、自分が晴眼者なのかどうかはちょっと迷うところですが、片目が見える私は「晴眼」と言えるかもしれません。
自分が晴眼かどうかは置いておいて、本題はこれから。日本では片目の失明だけでは障害者手帳発行の基準を満たさないということは、読者の方はご存じでしたでしょうか。私自身はこれまで、片目失明が障害者手帳の対象にならないことに何の違和感も抱かずに暮らしてきました。なぜかというと、片目失明であることで困ることはそれほどなかったからです。あえて言うと、左側は視野が狭いので時々ぶつかることはあります。(少しややこしい話ですが、)人は右眼を通じても真正面より左寄りの視野を得ることができるので、左眼が見えていたらさらに視野は広いとは思いますが、左眼が全く見えなくても左側の視野が完全になくなっているわけではありません。ものにぶつかることはありますが、それも自分で「気を付ける」ことで2回に1回は防げているのではないかと思います。よく片目失明だと伝えると「遠近感がないでしょ?」とも言われます。確かに両目でものを見る時よりものの奥行きをとらえることは難しいですが、日常生活で慣れた場所や見慣れたものなら、ものの大きさや角度からものとの距離は判断できるので、こちらもそれほど困ることがありません。あとは左目が白濁しているという外見上の問題はありますが、顔自体に顔面神経麻痺の症状があるため、そのほうが気になって、片目の白濁はそれほど自分の中では問題になってきませんでした。このように、片目失明でそれほど困っていないことから、障害者手帳の対象にならないことに違和感なく過ごしてきたというわけです。
ところが先日、私の片目が見えないことを知った方から片目失明の会を紹介され、障害者手帳の対象にしてもらえるように運動する必要があることを説明されて、ちょっと戸惑ったという出来事がありました。じっくり話を伺うと、片目失明の方の中には、視野が狭く、遠近感がないことで日常生活にとても不便を感じる方がおられること、義眼が必要な方は大変高額な医療費がかかってしまうこと、また外見上、実際に就職差別があったり心無い言葉をかけられたりする経験をした方もいらっしゃいました。そういったことを、私は知らなかったのです。
まさにここで思ったことは、障害を、個人の内側にある医学的な機能障害でとらえる「医学モデル」と、社会との関係で何が困るかに焦点を当てる「社会モデル」の話です。考えてみたら同じ片目失明でも日常生活に困る人と困らない人が出るのは当然で、それぞれ社会においてどんな日常生活を送って、どんな仕事や作業をして、どんな支援があるかは一人ひとり異なります。私自身は医学自体を否定するつもりはありません。医療の支えは大切ですし、治療やケア、リハビリによる機能の回復や症状に焦点を当てた補助具の開発は重要です。しかし障害をとらえる時に医学的な観点からの機能障害をいくら緻密にとらえても、その人が置かれた環境や社会によって、困りごとや困る程度は大きく異なります。障害者手帳の等級はその個人の内側にある医学的な機能障害のみに基づいたものなので、同じ機能障害でも社会的な支援が必要な人とそうではない人が混在してしまう仕組みと言えるのかもしれません。医学的な視点で、医師が診断書を出して等級を決める障害者手帳の仕組みは、とてもシンプルです。しかし実生活はもっと複雑で、同じ片目失明でも困る人と困らない人が混ざっているのが私たちの社会なのだろうと、改めて思いました。
今年は、国連が障害者権利条約を採択した2006年から20年の年に当たります。この20年で世界には、障害を「社会モデル」でとらえる必要があることが浸透してきました。私もまだ勉強中なのですが、ヨーロッパやアメリカでも、障害年金や社会保障の認定には一定の医学的基準が設けられており、医学的な判定を通らなければ支援にはつながらないという仕組みは日本と同じです。一方で日本は障害者手帳という明確な証明制度があり、それが多くの福祉サービスや割引制度と強く結びついているという特有の事情があります。
次の10年、20年で、日本の医学モデル優先の現状がどのように変わっていくのか、改めてしっかり見ていきたいと、片目が見えないことをめぐる一つの身近な出来事から、今そんな風に思っています。