118号 2022年12月28日発行 より
私は、障害学生支援センターのイベントに参加した際にスタッフのお誘いを受け、今年8月からセンターの活動に参加し始めました。今は相談の活動スタッフとして、関わらせていただいております。まだまだ分からない点も多いですが、可能な限り活動に参加させていただいて、いろいろと勉強させていただきたいと思います。よろしくお願いします。 私の障害は重度の脳性まひで、生活のほとんどにおいて介助が必要です。ですが、大学も通信教育であるものの卒業し、社会福祉士を取得しました。今回は大学生活を中心に、生い立ちからどのように育ってきたかを書いてみます。進学を考えている障害のある生徒さんや保護者の皆さん、学校の先生方の参考になれば幸いです。
私は1989年7月18日に高知県で予定日よりだいぶ早く1080gの極低体重児で生まれました。その後遺症なのかははっきりしないのですが、出生後に脳性まひと診断され、今もリハビリなどを続けています。リハビリは、小さい時は泣くこともありました。特に5歳ぐらい頃の肢体不自由児施設で受けた足の手術は、とても痛かったことを覚えています。 その後、保育園(肢体不自由児入所期間を除く)や小中学校は、地元の学校に行きました。当時高知県の場合、自分の肢体不自由児を受け入れる養護学校(現特別支援学校)が、遠方の高知市周辺にしかなかったのと、周りの子供たちと同じように生活をさせてあげたいという両親の気持ちからそうなったのだと思います。 中学校の時はクラスでいろいろ嫌なこともありましたが、小学校の時は、当時で言う障害児学級に在籍しながらも、教科によっては通常学級で学ぶことを通じて、クラスの仲間や先生などに支えられて楽しい学校生活を送りました。遠足や運動会、修学旅行などもクラスの仲間と参加しました。皆さんびっくりされると思いますが、先生におんぶしてもらい、クラス仲間と山に登ったりすることもあったのです。クラスの仲間や先生も、障害の有無に関係なく、支え合う心や絆ができていたように思います。後に私が福祉分野に進み、インクルージブな社会を目指したいという思いを持つようになるのは、子供の頃のこんな体験があったからだと思います。
しかし中学校では、「いじめ」ほどではないのですが、クラスで私に対してちょっとした嫌がらせがありました。まあ周りも思春期だったせいもがあると思います。その後高校では、バリアフリー設備や補助教員の配置がないということで、遠方の高知市にある肢体不自由特別支援学校高等部(その当時は養護学校)に入学し、それに伴って寄宿舎にも入舎しました。 特別支援学校高等部での生活は、小学校入学前に入所していた肢体不自由児施設や病院のリハビリ生活と似ていました。幼なじみがいたり、担任の先生もマンツーマンに近い形でいい方だったで、高校生活にはすぐに慣れ、楽しく学校生活できました。高等部卒業後の進路を考え始めた頃、当初は大学進学を考えていませんでした。理由として、私が在籍していた頃の卒業生は知的障害などがある重度重複障害の方が多く、大学や専門学校進学者はほとんどいなかったからです。私の在籍5年間の間の卒業生で1人だけ、私と同じ脳性まひで同じぐらいの機能の方が、当時障害学生支援が日本の大学で最も進んでいた思われる日本福祉大学に入学し、卒業したぐらいでした。 私は当初、パソコンなどのスキルを見につけたいと思い、国立障害者職業リハビリテーションセンターに入校しようと考えていたのですが、そこは身辺の自立ができていないと難しいと言われてしまいます。それならどうしようか考えているうちに、時間が過ぎていってしまいました。 気づいたら、周りのクラスメイトも大学進学も考えるようになっていたのですが、私はその頃、学校の授業を通じて、日本福祉大学卒業生の話を伺う機会を得ます。そんな折、四国の中では障害学生支援が進んでいた四国学院大学(しこくがくいんだいがく)の学園祭に参加したのですが、それでも進学先を決めきれず時間だけが過ぎていってしまいました。他にも、特別支援学校のある地域にある高校との交流学習で、通常授業にも参加させてもらったのですが、ノートを取るのが難しく話を聞くだけになってしまって、その経験から、大学進学は難しいと感じてしまいました。また、大学進学となるとヘルパーや学費などのお金の面も大きな課題でした。 しかし、このような状態で大学進学を諦めかけた時、親から、実家に帰ってきて放送大学(ほうそうだいがく)で勉強してみたらと提案をもらったのです。放送大学なら自分のペースで勉強できると思い、早速オープンキャンパスに参加したりしました。しかし放送大学では大学卒業資格のみしかなく、何のために大学で勉強するのかと周囲から言われても、私の中には漠然とした考えしかありません。そこで、ネットなどで興味があった福祉やIT系、心理学などの通信大学を調べて、障害のある方の受け入れ体制をメールなどで聞いたりして、情報収集を始めました。 また大学進学がかなった後は、家の中ばかりいては閉じこもりがちになると思い、デイサービスや作業所(就労継続支援B型事業所)も利用しながら勉強をすることを考えて、学校の夏休みに体験や実習をさせていただきました。驚いたのですが、作業所では工賃や給料が安いなかでも、利用者や職員が必要な支援や介助を受けながら生き生きと楽しんで活動や作業をしているのです。そこでは、なんでこんなにみんなが楽しく過ごしているのだろうという思いになりました。 また、もう1か所利用しようと考えていたデイサービスの事業所が、当時施行された障害者自立支援法の関係で閉鎖になることを聞いたのもこの時期です。 こういった体験をするうちに、徐々に、自分も福祉制度や法律について詳しく勉強をして、障害があっても生きやすい街や社会を作りたいと思うようになりました。そんな思いを持ちながら、福祉系の通信制大学をネットで調べていたところ、日本福祉大学に通信教育部があり、しかも社会福祉士や精神保健福祉士の受験資格を取らなければスクーリングも行く必要がなく、オンデマンドやテキスト科目のみで卒業できることを知って、早速受験することを決めました。受験は志願理由書の提出のみで、大学側の配慮により担任の先生に手伝ってもらいながらパソコンで書くことができました。そして無事入学を決めて、高校を卒業して大学で勉強を開始することになったのです。
大学の勉強はオンデマンドやテキスト科目といえども、大変なものでした。日中作業所に行きながらでしたので、当初4年で卒業と考えていたものの、倍近くの7年かかってしまいました。今考えると当たり前のことですが1人で勉強するというは時間の管理などをしっかりしないといけません。 在学中は様々な科目を勉強したのですが、その中でも障害関係の科目は自分に関わりが深いため、今でも覚えています。私は、社会における障害の捉え方が、医学モデルから社会モデルへ移行しているという考え方や、障害者権利条約、障害者自立支援法といった制度などを、しっかりと学べた気がします。 実は大学に在籍している中で、卒業資格だけでなく、社会福祉士を目指そうという思いが強くなり、社会福祉の受験資格を取ることにしました。しかし先ほども書きましたが、受験資格を取るには、大学でのスクーリングと事業所などでの実習が必要でした。 介助が必要な重度障害の私が、どのようにスクーリングを行ったのかと言うと、スクーリングは家族の介助と付き添いで2回のスクーリングを受けて、実習は、自宅近くの事業所で実習を行ったという形でした。 最初私は、実習時の介助ヘルパー利用について住んでいる自治体の福祉部署と協議しました。しかし制度的に難しいということで、最終的には大学と事業所で協議をしてもらい、家族や事業所の職員の介助で実習を受けました。 また長時間車椅子に座ることにより、褥瘡(じょくそう)になりやすくなることや通所していた作業所との関係もあるため、実習を毎日ではなく、週3回各6時間にしてもらいました。さらに実習後に書く実習日誌は、パソコンで記述できるようにしてもらったことも、大学や事業所から受けた配慮の1つです。 社会福祉士国家試験については、配慮届や医師の診断書を提出し、別室受験とマークシートへの代筆、時間延長の配慮を行ってもらいました。在学中1回目は不合格だったのですが、その後あまり勉強しなかったものの卒業後の2回目の受験で合格し、社会福祉士の資格を取得しました。
私は、社会福祉士の資格取得後も、重度の障害でトイレ介助が必要なため、就職などはできませんでした。今は作業所に通所しているのですが、せっかく取った資格なのでそれを活かし、民間企業が運営する悩み相談サイトで相談ボランティアスタッフをやっています。これからも資格を活かし、できることを探していこうと思います。
ご存じの方も多いと思いますが、2016年に障害者差別解消法が施行されました。ネットの情報などによると、大学でもまだ不十分な点も多いと思われますが、障害のある学生に対して配慮を行う学校も増えつつあるようです。またIT技術の進歩や、昨今のコロナ禍が相まって、完全にオンデマンドやリモートで授業を行う大学もあります。さらに、通学時にヘルパーによる移動支援を行う自治体も出てきました。加えて、一定の条件がありますが、経済面では、給付型奨学金など学費に関する支援もあります。 こういった環境が整いつつあることを考えると、障害があるからと言って、大学進学を諦める必要はなさそうです。皆さん、目標に向かって進んでいってください。