先輩からのメッセージ「あ・か・さ・た・な」で研究する

天畠 大輔(てんばた だいすけ)
日本学術振興会特別研究員(PD)/中央大学
写真:天畠 大輔さん
109号 2020年10月15日発行 より

僕、天畠大輔とは

 僕は14歳の時、医療ミスにより低酸素脳症に陥り、その時の後遺症で四肢まひ、視覚障害、発話障害、嚥下(えんげ)障害を負いました。現在地域で自立生活をしていますが、生活上何をするにも身体介助や通訳介助が必要です。また、身体に不随意の動きがあることと、時おり筋肉の緊張により顎が外れ呼吸出来なくなるという障害もあるため、24時間、365日、片時も離れず常に介助者が僕の側にいます。
 発話が困難なため、僕は一文字ずつ意思を確認する「あかさたな話法」という特殊なコミュニケーション方法をとっています。「あかさたな話法」とは、例えば僕の趣味である「映画」を伝えたいときを例に説明すると、まず介助者がはじめに、「あ、か、さ、た…」と50音各行の頭文字を読んでゆき、僕は「え」の含まれる行「あ」の音で身体の一部を動かし合図を送ります。そこで合図を確認した介助者は「あ、い、う、え、お」と読み進めていくので、僕は「え」の箇所で再度サインを送り、文字を選びます。この作業を繰り返し、ようやく言葉が姿を現していきます。濁点のつく文字などは介助者が推測し、当てはめていきます。

養護学校から大学受験へ

 僕は14歳で受障してから、養護学校(現・特別支援学校)に転校し、中等部・高等部と通いました。養護学校高等部を18歳で卒業する際、大学受験を希望しましたが、養護学校側には大学受験支援のノウハウがなく、受験を受け入れてくれる大学も見つからず、その時は在宅生活を余儀なくされました。しかし、家の近くの国立大学の学生を中心に、体の機能回復のためのリハビリ訓練のボランティアを募り、彼らと過ごすうちに、養護学校卒業後に一度は諦めた大学進学を再び目指すようになります。一番の動機は「居場所が欲しい」というものでした。
 当時僕は、受験勉強と並行して、4年かけて文科省や各大学と交渉し、そしてようやくルーテル学院大学に入学を果たします。この大学受験の時には、障害学生支援センターにも大変助けて頂きました。特に代表・殿岡さんに具体的な交渉アドバイスと共に、「とりあえず入ればなんとかなるよ!」と入学後の不安が拭えずにいた僕の背中を押して頂いたことは本当に大きな励みになりました。
 大学では卒業論文を書くという経験を通して、時間をかけて思考を形にする、論文という方法が自分に合っていることを実感しました。そして、文章を書くことで生計を立てたいと思うようになりました。しかし、重度障害を持つ自分が研究者として生きるイメージを持つことは難しいものでした。そんな時期に、東京大学先端科学技術センターの当時准教授だった福島智先生の生き方から、とても大きな影響を受けました。福島先生は全盲ろうという障害を持ちながら、「指点字」というコミュニケーション方法を用いて、大学の常勤教員となり活動していました。僕と同じく重度の重複障害を持つ福島先生が研究者として活躍されている姿を拝見し、努力すれば研究者になれる可能性を感じ、挑戦する勇気をもらいました。

先読みコミュニケーションと論文執筆

 僕のコミュニケーション方法は、短い言葉を伝えるのにも相当な時間と労力を要します。そこでそのコストを削減するために、介助者には積極的な先読み(予測変換)を推奨しています。例えば簡単な例で言うと、僕が「はじめまして」と言いたい時、介助者は「は、し」と読み取った時点で「『はじめまして』ですか?」と僕に確認します。そこで僕はOKの合図を出し、介助者が相手に「はじめまして」と通訳する、といった具合です。
 この文章を作成するのも、まず介助者に文章の骨子を伝えます。介助者は過去の僕の文章などを参照しながら、一般に分かりやすい形式に体裁を整えながら文章化していきます。僕の視覚障害は、平面の文字が見えにくいという稀な状態であり、自分の文章を目で見て確認することもできません。そのため、一度文章を作ったら介助者に読み上げてもらい、僕は訂正箇所を合図し、再度指示を出して文章を修正し、その繰り返しで書き上げています。
 博士論文も同様に、介助者と協働で執筆しました。しかし僕は論文執筆を進める中で、だんだんと介助者の存在がとても大きいことを感じるようになります。何故なら、僕の考えを文字にし、文章にしていくのは介助者だからです。そのうちに、僕は自分の研究を深めることよりも、頭の良い介助者を見つけ出すことで、良い論文を書こうとしているのではないだろうか?とさえ思うようになりました。だからと言って、一文字一文字介助者に全ての言葉を伝えていたら期限内に論文を提出することは出来ません。そのうち僕は、介助者に先読みをさせながらも、「これは本当に僕の力で書いた論文といえるのだろうか?」というジレンマを常に抱えるようになりました。さらに、論文支援担当の介助者から「一文字一文字自分で書かなければ、『大輔さんの論文』とは言えない」と、苦言を呈されました。それが大きなきっかけとなり、僕は一時、論文が書けなくなるほど悩みました。そしてその後に、このジレンマ自体を研究の題材にしようと心に決めました。こうして僕の博士論文のテーマは「発話困難な重度身体障害者のコミュニケーションと自己決定」となりました。
 僕が行ったのは「当事者研究」という研究方法です。自分の「弱さ」と客観的に向き合って、深堀りして、その「弱さ」を社会的なレベルから捉え直し、それを文字化する、という作業を約10年に渡って続けました。そして僕は、介助者と協働することによって、発話困難でありながら博士論文を書き上げるという念願を果たすことができました。
 僕は研究をしていく過程で、誰しもが自分一人の能力で生きているわけではない、ということに気が付きました。人間は必ず過去に出会った人からの教えや出来事を通して、その都度自己決定をしていきます。論文を書くのもそうした積み重ねになるのではないだろうか、と考えるようになりました。一般的にも、論文を書くにあたっては指導教員や他の研究者のアドバイスを受け、それを反映させていきますが、その際にはそのアイデアが誰のものなのかは普通問われません。しかし、なぜ僕の場合はジレンマに苦しみ、自分が無実であることの証明を求められるのでしょうか。そこには社会が、自分の口で話したり、自分でパソコンに打ち込んだり出来るマジョリティ(多数派)のルールを前提にしか設計されていないことに原因があるように思います。でもそれは、僕のような当事者がその理不尽さや、なぜ介助者との協働が必要なのか、といった当事者の合理性を発信していかなければ社会は変わってはいかない、とも思います。僕は論文を書くことで、自分の「弱さ」を苦しみから強みに変える捉え直しを行い、さらにその論文を世に出すことで社会を変えることを目指しています。

事業所運営と研究

 僕は現在、日本学術振興会特別研究員(PD)として、中央大学にて研究活動をしています。博論の内容を発展させる形で、重度身体障害者と介助者のコミュニケーションや関係性をめぐる調査・研究を主なテーマとして取り扱っています。
 大学院生だった時に、僕は介助者と共に自分の介助者を派遣する会社を設立し、現在もその経営を担っています。重度障害者がもっと生きやすく、活躍することのできる社会を研究しながら、そこに欠かせない介助者との関係性について自分の会社で実践してみる。そうした、「運営」と「研究」の両輪で僕は日々忙しくも、とても充実した毎日を送っています。
 僕が実践の中で日々検証を重ねているのが「プロジェクト型介助」というものです。これは一般的に言われている「介助者手足論」のように“障害者が全て指示を出し、介助者は余計な口を挟まない”というものとは全く別の介助のあり方です。僕は、介助者ごとに異なる役割を担わせ、それぞれに「お任せ」で動いてもらっています。例えば先に触れた論文執筆では、論文担当の介助者とともに文献を読み、共有知識を積み重ね、時間をかけて僕の思考を伝え、それを文章化してもらい、一緒に論文を作り上げていきます。
 介助者は、黒子として指示通りに動くだけではなく、自分で考えて動けること、任せてもらえることで、介助に責任とやりがいを持ち、高いモチベーションで仕事をすることが出来ます。そして当事者は自らが中心になって介助者を動かし、実現したい目標に向かって前向きになることで、生きがいを感じます。単なる手足としてではなく、介助者を同志とみなして、ともに何かを作っていくこと、そしてその先頭に自分が立つことは、生きる糧になります。

研究を還元していく

 最後に、今僕が一番力を入れている活動についてご紹介します。僕は、今まで両輪だった事業所運営と研究活動に加えて、この春からもう1つの車輪となる一般社団法人「わをん」を設立しました。僕はまた、新たな目標に向かって走り始めています。これまでの僕の研究、経験を他の当事者の方たちに還元していくための活動です。
 一般社団法人「わをん」は、介助が必要な重度障害者が、自分らしく地域で暮らしていくための相談支援や情報発信をする団体です。具体的には、当事者が自薦登録ヘルパーの活用や当事者事業所の設立・運営する際の相談を行うほか、全国各地の当事者へインタビューを実施し、介助者とどのように関係を築いているかについて情報発信をする「当事者の語りプロジェクト」も行っています。また同時並行で、介助者育成のための研修事業も今後実施する予定です。
 重度訪問介護自体はこの十数年で少しずつ利用されてきていますが、まだまだ一般的に知られておらず、特に地方においては、自治体の担当者にも知られていません。僕は事業所運営と研究活動に加えて、この「わをん」での活動を通して、障害者介助を支える重度訪問介護の可能性を社会に発信していきたいと思います。
 これから大学進学を考えている、卒業後の進路に悩んでいる、そうした障害当事者の仲間のあなたを応援させてもらえませんか?そして、一緒に社会をもっと面白くしましょう!

写真:スターバックスサイニングストアの視察!(国立市)