小堤 香穂(おつづみ かほ) 2017年 和光大学 表現学部総合文化学科卒業 肢体障害
102号 2019年1月20日発行 より
はじめまして、小堤 香穂です。私は肢体不自由(脳性麻痺)のため、家族とヘルパーに介助を頼みながら、電動車椅子で生活しています。2017年に大学を卒業し、現在はパソコン教室に通う傍ら、自立生活センター(地域で暮らしたいと願う障害者の相談に応じたり、障害福祉サービスの提供、障害者が地域で暮らしやすくなるために様々な活動を行う団体)でアルバイトをしています。今回は、大学生活を振り返ってよかったことや大変だったこと等をみなさんにお伝えしようと思います。
まず何より大変だったのが、私が大学に通っていた頃は、通学や学内での介助に制度の面でヘルパーを使えなかったということです。そのためこうした介助は有料で頼まざるを得ないため、金銭面での負担がとても大きかったことを覚えています。また有料でヘルパーを派遣してもらったとしても、どこにどのくらいヘルパーを使い、どの部分を友達や大学のノートテイカー制度(聴覚や肢体に障害のある学生の隣に障害のない学生が座り、先生の話した内容や板書内容を書き留めてもらう制度)を使うのか、履修科目を決める際にとても悩みました。 こうした苦労を少しでも軽減するために、なるべく板書せずにプリントを使って講義を進める先生の授業を選んだりもしました。ノートテイカー制度でも、支援学生が見つからなかったり、一年間に使える回数に制限があったため、授業の内容によっては支援者なしで1人で受けたこともありました。また親しい友人が同じ授業をとった時には、その日のノートをコピーさせてもらったり、先生にお願いして板書の内容をメールで送ってもらったりといった工夫をして、授業を組み立てて履修していきました。
大学に通ってよかったと思うこともあります。中でも1番よかったことは「家族やヘルパー以外の周囲の人に、自分から積極的に手伝ってほしいことを頼めるようになった」ということです。これまでの私は周囲の人に話しかけたい気持ちはあっても「断られたらどうしよう」とか、どう思われているのかな」という気持ちがあり、なかなか一歩を踏み出せないことが多かったのです。 しかし上に述べたように、介助が必要であっても、そのすべてにヘルパーを使えなかったのと、また時間も限られていたので、学年が上がるにつれていろいろと周囲の人に協力してもらえるように働きかけました。たとえば、教室に入りやすいように机を端に寄せてもらう、ファイルなどをリュックにかたづけてもらうなどの簡単な介助なら、周囲の人に頼めるようになっていきました。手伝ってもらったことで人脈が広がるという経験もできました。 私が大学生活を通して一番学んだことは、「失敗を恐れずに挑戦し、そこから学ぶ」ということです。例えば1人で通学できるように練習して、実際に通学できるようになりました。一人で通学するようになるといろいろなハプニングがありました。電車を降りる駅でスロープ板が来ていないために下車できなかったのに、対応した駅員さんからは「バッテリーが切れたのかと思った」と誤解されてしまったことがありました。また、バスで下車先のバス停を事前に伝えたのに、運転手さんがそこに停車せず通り過ぎてしまって降りられなかったこともありました。運転手さんからは「降車ボタンを押さないとわからない」といわれてしまいました。こうした時には正直イラっとしましたが「こういうこともあるんだな。次回からはこうしよう」と対策を考えることができ、いい経験になりました。 また介助を周囲の人に頼む際に、自分の気持ちを優先して頼んでしまい、相手に負担をかけてしまったことがあり「どうしたら自分のやってほしいことを相手に分かってもらえるのか。どこまでの介助であれば、相手は負担ではないのか。相手の負担を少なくするために自分ができることは何か」を考えられるようになりました。
最後に後輩のみなさんに伝えたいことは、2つあります。1つ目は、出会いを大切にしてほしいです。私も悩んだり困ったりした時、周囲の人のアドバイスによって新たな考え方に気がついたり、解決策を見つけたりすることができました。ですから多くの人と関わり、たくさんの価値観に触れてほしいと思います。そこでしかない出会いを大切にしてください。 2つ目は、いろいろな経験をしてほしいと思います。私も通学練習や初めて会う人に介助を頼むなど不安も多かったのですが「実際にやってみる」ことが自信を持つことにつながりました。なので、最初は不安かもしれませんが、新しいことに挑戦してみてほしいです。 私の体験談が少しでもみなさんのお役に立てたら嬉しいです。そしてみなさんが楽しく有意義な大学生活を送れるよう願っています。